最近、意識的に「静かな時間」を取るようになった。
何かがきっかけで劇的に変わったわけではない。
ただ、気づいたら、以前よりも強く必要としていた。
音に囲まれた一日
朝、テレビの音で目が覚める。
通勤中は音楽や動画を流し、
職場では機械音や通知音が途切れない。
家に帰っても、
生活音や画面の光が常にそばにある。
振り返ってみると、
一日のほとんどを、
何かしらの刺激と一緒に過ごしていた。
それが普通だと思っていた
情報や音に囲まれている状態は、
特別なことではない。
むしろ、
それが当たり前で、
静かな時間の方が少し不自然に感じていた。
何かをしながら、
何かを流している。
そんな状態が、
自分の日常になっていた。
ふと、落ち着かないことに気づく
ある時から、
理由のはっきりしない疲れが残るようになった。
忙しすぎるわけでもない。
大きなストレスがあるわけでもない。
それでも、
気持ちが落ち着かず、
頭の中がずっとざわついている。
そこで初めて、
「静かな時間が、ほとんどない」
という事実に気づいた。
何もしない時間を、意識的に作る
試しに、
音楽も動画も流さず、
ただ静かに過ごす時間を作ってみた。
最初は、少し落ち着かなかった。
手持ち無沙汰で、
何かを足したくなる。
それでも、
そのまま過ごしていると、
少しずつ呼吸が整っていく感覚があった。
静けさは、贅沢だった
その時、
静かな時間を
「何もしていない時間」ではなく、
「回復している時間」だと感じた。
何かを得るためではなく、
削れていたものを取り戻す時間。
気づけば、
この静けさが、
一日の中で一番贅沢な時間になっていた。
刺激も、静けさも、どちらも必要
もちろん、
刺激のある時間が不要になったわけではない。
集中して動く時間や、
勢いに乗る時間も大切だ。
ただ、それが続きすぎると、
どこかで歪みが出る。
静かな時間は、
その歪みを整える役割を持っている。
続けるために、静けさを挟む
走り続けることだけが、
前に進むことではない。
立ち止まり、
整え、
また動き出す。
そのリズムがあるから、
無理なく続けられる。
静かな時間は、
今の自分にとって、
そのために欠かせないものになった。
まとめ:前より大事になった理由
静かな時間が大事になったのは、
頑張れなくなったからではない。
むしろ、
これからも続けていくために、
必要になった。
何かを足すより、
一度引く。
その選択ができるようになったことを、
今は少しだけ、
前向きに受け止めている。

ゆっくりと広々とした雰囲気を楽しむ。
ぼーっとしていると、ヨットや船が目の前を過ぎていき、ちょっとした変化が楽しく感じた。
塔野ミノル


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