読まれない記事だとしても、書き続けていく理由

創作・作品

書いて、積み重なってきたもの

記事を書いて、発信して、また書く。

気づけば、それが習慣になっていた。

振り返ると、
思っていたよりも、ちゃんと積み上がっている。


読まれることもあれば、そうじゃないこともある

たまに、リアクションをもらうことがある。

誰かが読んでくれて、
少しだけ時間を使ってくれたことが、数字で見える。

それは普通に嬉しい。

でも、それと同時に思う。

読まれる記事と、そうじゃない記事の差って、なんなんだろうって。


「読まれる」を意識し始めた時の違和感

最初は、ただ思ったことを書いていた。

でも途中から、
「どうしたら読まれるか」を考えるようになった。

そうすると、急に難しくなる。

文章って、こんなに奥深かったんだって思う。

気づいたら、
これもひとつの創作みたいになっていた。


そもそも、なんで書き始めたのか

もともとは、
経験を残したかったからだった。

楽曲制作を続けてきて、
その中で感じたこととか、悩んだこととか、

そういうものを、ちゃんと形にしておきたかった。

その時の自分の思考とか、温度感とか、
そのまま残したかった。


誰かのため、でもそれだけじゃない

同じように悩んでいる人が、
少しでも何か受け取ってくれたらいいなとは思っている。

でも、多分それだけじゃない。

書くことで、自分の中が整理されていく。

過去のことを思い出したり、
そこから新しいアイデアが出てきたりする。


これは、別の形の創作だと思っている

音楽を作るのと、少し似ている。

今までやってきた創作が、
文章にも繋がってきている感じがある。

記録というより、
もう一つの作品みたいな感覚に近い。


AIの時代だからこそ思うこと

今は、AIでいろんなものが作れるようになってきた。

音楽も、画像も、文章も。

どんどん簡単に作れるようになっている。

でも、それでも思う。

やっぱり、人が作る意味ってある気がする。


見えない部分に、価値がある

作品って、
見えている部分だけじゃないと思う。

その裏にあるもの。

どうやって考えたのかとか、
どんな過程を通ったのかとか。

そういう見えない部分に、
結構大事なものが詰まっている。


だから、残しておきたい

思考とか、迷いとか、
作っている途中の記録とか。

そういうものを、ちゃんと残しておきたいと思った。

その一番やりやすい形が、
自分にとっては文章だった。


結論っぽいもの

正直、読まれないことも多い。

それでも、書く理由はなくならない。

誰かに届くかどうかも大事だけど、
それ以上に、自分にとって必要な行為になっている。

だから、もう少し続けてみようと思う。


最後に

もし、たまたま読んでくれた人がいて、
何かひとつでも引っかかるものがあれば、それでいい。

そのくらいの距離感で、
これからも書いていくと思う。

お気に入りの場所で、石の壁がちゃんと3つ見えつつ、全体の雰囲気が入るように頑張って撮ろうとした。

文章を書く事も、楽曲を作る事も、写真を撮る事も、全てが楽しい。

自分なりに最大限やって、上達したいと思うことだけで、熱中できる。

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