AIという存在を、
はじめはどこか他人事のように見ていた。
便利なツール。
未来的な技術。
その程度の認識だった。
だが、実際に触れた瞬間、
その認識は崩れた。
文章生成、画像生成、音楽生成。
ほんの数秒で、それらは形になる。
しかも、想像以上の完成度で。
正直に言うと、
衝撃だった。
道が消えた感覚
特に衝撃を受けたのは、音楽生成AIだった。
自分は何年もかけて、
試行錯誤し、時間を積み重ね、
少しずつ曲を作ってきた。
それが、
数十秒で出力される。
「これなら、人間はいらないのではないか」
そんな考えが、
頭をよぎった。
大げさではなく、
自分の進んできた道が、
突然消えたような感覚だった。
努力も、積み重ねも、
すべて意味を失ったように感じた瞬間があった。
それでも、目が離せなかった
だが同時に、
胸の奥で別の感情が動いていた。
――すごい。
悔しさや不安とは別に、
純粋なワクワクがあった。
こんなものが、
もう現実に存在している。
恐怖と興奮が混ざった、
奇妙な感覚だった。
敵ではなく、追い風
しばらく考え続けた。
もしAIがこれほどまでに進化するなら、
人間はどうすればいいのか。
そこで気づいた。
AIは、
速い。
効率的だ。
完成度も高い。
だが、
「迷い」や「遠回り」はしない。
苦しみながら試すことも、
諦めきれずに続けることもない。
そこにあるのは、最適化された結果だけだ。
人間の創作は違う。
時間をかけ、
失敗し、
修正し、
ときには無意味に思える作業を繰り返す。
その過程そのものが、
創作の一部になっている。
AIは敵ではない。
むしろ、
自分に足りなかった視点や可能性を広げてくれる存在だ。
効率を任せられる部分は任せればいい。
その分、
人間にしかできない部分に、
時間と感情を注げばいい。
衝撃の正体
振り返れば、
あのとき感じた衝撃は、
「AIが凄い」という事実そのものではなかった。
自分の立ち位置が揺らいだこと。
そこに恐怖があった。
だが同時に、
その揺らぎは、
創作を見つめ直す機会でもあった。
AIがいる時代に、
自分は何を作るのか。
なぜ作るのか。
その問いが、
より鮮明になった。
AIは確かに凄い。
だが、
だからこそ、自分は作る。
速さではなく、
効率でもなく、
迷いながら進んだ痕跡を残すために。
あの衝撃は、
終わりではなかった。
新しい時代の、
始まりだった。

創作活動を続けているが、創作するときに使用するギターを始めとした各楽器や、色々な関係機材に触れれる事が楽しくて嬉しいと感じる。
塔野ミノル


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