数あるコンテンツの中から、なぜ音楽を選び続けるのか

思考

映像、ゲーム、SNS、スポーツ。
今の時代、面白いコンテンツはいくらでもある。

それでも私は、
その中の一つである「音楽」を、
ずっと一番好きなものとして選び続けている。

なぜなのか。
改めて考えてみると、その理由はとても単純で、
同時に言葉にしにくいものだった。


音楽が「一番向いていた」わけではない

誤解のないように言えば、
私は音楽が特別に得意だったわけではない。

音楽教育を受けてきたわけでもなく、
自分が音楽に向いていると
はっきり言い切れる自信もない。

それでも、
なぜか音楽に触れている時間が、
一番自然で、心地よかった。


子どもの頃の、忘れられない体験

小学生の頃、
音楽の授業はどちらかといえば苦手だった。

自分とは縁のないものだと、
本気で思っていた時期もある。

そんなある日、
年の離れた従弟にすすめられて聴いた、
一つのロックバンドの音楽があった。

音の迫力。
演奏の一体感。
言葉では説明できない臨場感。

その瞬間、
胸の奥に、はっきりと衝撃が走った。


「何度も聴きたい」と思わせる力

その音楽を、
私は何度も何度も聴いた。

CDを借り、
やがて同じものを自分で買い、
ダビングしたテープが擦り切れるまで聴いた。

理屈ではなく、
「また聴きたい」という感覚だけが、
自然と体を動かしていた。

あの時の感情は、
今もはっきりと覚えている。


音楽は、情報が少ないからこそ深い

映像や体験型のコンテンツは、
多くの情報を一度に伝えてくれる。

一方、音楽はどうだろう。

形がない。
映像もない。
あるのは、音と時間だけだ。

だからこそ、
聴く側は想像力を使う。

演奏の細かな揺れ。
音の強弱。
沈黙の間。

それらを受け取りながら、
自分なりの意味や感情を見つけていく。


「伝えられる」のではなく、「想像する」芸術

音楽は、
何かを一方的に説明してくれる芸術ではない。

むしろ、
聴く人に問いを投げかけ、
想像を委ねてくる表現だと思っている。

激しさも、
美しさも、
楽しさも、
すべては雰囲気として漂っているだけだ。

だからこそ、
聴くたびに受け取るものが変わる。


自分も、表現する側に立ちたいと思った理由

ある時から、
私は「聴く側」だけでなく、
「表現する側」にも立ってみたいと
思うようになった。

音を使って、
自分の中にある感情や世界観を、
形にしてみたい。

社会人になり、
ようやく最低限の機材を揃え、
少しずつ楽曲制作を始めた。


今も続いている、探求としての音楽

今も私は、
楽曲を作り、磨き、
同時に世の中の音楽を探し続けている。

上手くなったかどうかよりも、
探求し続けている感覚そのものが、
自分にとっては大切だ。

音楽は、
飽きない娯楽というより、
終わりのない対話に近い。


それでも音楽を選ぶ理由

たくさんのコンテンツがある中で、
なぜ音楽なのか。

それは、
音楽が一番「想像する余地」を
残してくれる表現だからだと思っている。

与えられすぎない。
決めつけられない。
だからこそ、
自分の感情や人生と、
何度でも重ね合わせることができる。


まとめ:音楽は、今も問い続けてくる

音楽との関わり方は、
子どもの頃と今とでは、
確かに変わっている。

けれど、
あの時感じた感動や衝撃は、
今もどこかで続いている。

数あるコンテンツの中から、
私が音楽を選び続ける理由は、
音楽が今もなお、
自分に問いを投げかけ続けてくる存在だからだ。

これからも私は、
その問いに耳を傾けながら、
音楽と関わり続けていくのだと思う。

昔ずっと使っていたアイバニーズの7弦ギター。弾きやすくて、対応力が高くて、一時の感情で手放してしまったけど、叶うならまた手に入れたい。

塔野ミノル

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