音楽が溢れているのに、なぜ自分は曲を作ってしまうのか

思考
隙間から見える竹達

世の中には、もう十分すぎるほど音楽がある。
それはたぶん、誰もが感じていることだと思う。

それでも、
なぜか私は今日も曲を作っている。

自分でも、ときどき不思議に思う。


音楽は、正直もう作られすぎている

プロの名曲もあるし、
流行っている曲もある。

たまたま見つけた、
無名だけど驚くほど良いアマチュアの曲も、いくらでもある。

サブスクのおかげで、
音楽は数秒あれば手に入るし、
音質や再生環境も、昔とは比べものにならないくらい整っている。

正直に言えば、
「もう新しい音楽はいらないんじゃないか」
そう感じてしまうこともある。

そんな時代に、
自分が曲を作る意味って、本当にあるのだろうか。
何度も、同じことを考えてきた。


それでも、作る意味はあると思っている

結論から言うと、
それでも音楽を作る意味は、確かにあると思っている。

むしろ、
これからの時代だからこそ、
個人が音楽を作ることは大事なんじゃないか、
そんな気がしている。


「聴いてもらえない構造」は、もう出来上がっている

今の音楽シーンは、正直かなり厳しい。

とんでもない才能を持った人たちがいて、
企業が大きな力でプロモーションをして、
アニメやドラマと結びついて、
ようやく多くの人の耳に届く。

「良い曲を作れば、自然と聴いてもらえる」
そんな時代は、もう終わっている。

この現実は、
音楽をやっている人なら、きっと一度は感じたことがあると思う。

それでも、
じゃあ自分はなぜ作り続けているのか。
この問いから、なかなか逃げられない。


楽曲制作は、自分にとっての居場所になっている

長く曲を作ってきて、
これははっきり言える。

音楽を作っている時間は、
自分にとって、かなり大事な心の拠り所だ。

普段の生活では、
空気を読んだり、
人に合わせたり、
自分を抑える場面がどうしても多い。

それは社会で生きるためには必要だけど、
どこかで、
「本当の自分は後回しになっているな」と感じることもある。


表現している時間だけは、少し自由になれる

不思議なことに、
曲を作っている時間だけは、感覚が違う。

何を使ってもいいし、
どう進めてもいい。
正解も、不正解もない。

音を重ねながら、
「ああ、自分はこういう感じが好きなんだな」とか、
「今はこんな気分なんだな」とか、
少しずつ分かってくる。

その時間が、
自分にとっては、かなり救いになっている。


試行錯誤は、自分と会話しているようなもの

楽曲制作は、ほとんど試行錯誤だ。

音を選んで、
違うなと思って消して、
また別の音を足してみる。

その繰り返しの中で、
「自分は何を表現したいんだろう」
という問いに、少しずつ答えている気がする。

これはもう、
自分と静かに向き合う時間なんだと思う。


作品は、ちゃんと現実に残る

完成した曲は、
誰かのものじゃなくて、
間違いなく自分から生まれたものだ。

大きな評価をされなくても、
この世界に確かに残る。

その感覚が、
今のところ、自分には一番しっくりきている。


音楽は、誰かと共有したときに少し深くなる

曲を誰かと共有できたとき、
その音楽は、少し違ったものになる。

一緒に演奏したり、
感想をもらったり、
同じ曲を軸に時間を過ごしたり。

それは派手じゃないけれど、
人生の中では、ちゃんと大切な時間だと思う。


積み重ねた音楽は、人生のアルバムみたいなもの

これまで作ってきた曲たちは、
自分がどう生きてきたかの記録でもある。

振り返ると、
その時々の感情や状況が、音として残っている。

それが積み重なって、
自分だけの人生のアルバムになっていく。


だから、たぶんこれからも曲を作る

そんな理由があって、
私は今も曲を作っている。

派手な理由じゃないし、
大きな目標があるわけでもない。

ただ、
これが自分にとっての生きがいなんだと思う。

おそらくこれからも、
同じように悩みながら、
同じように曲を作り続けていくんだろう。

たぶん、それでいい。

夕暮れ時の、寂しくて切ない雰囲気が落ち着く。

塔野ミノル

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