※この文章は、ある楽曲の裏側にある物語です。
いつもの記事とは少し違う温度で書いています。
世の中には、数えきれないほどのルールや決まりごとが存在している。
国の法律、地域の決まり、職場や家庭でのルール。
外に出れば交通ルールもあり、
そのすべてを把握することは難しいと感じるほどだ。
ルールを守る意義は、人類が共存するために欠かせないものだ。
もしそれが失われれば、
力が支配する無秩序で理不尽な世界へと変わり、
社会の存続さえ危うくなることは容易に想像できる。
しかし現代では、
ルールを逆手に取り、
グレーゾーンの中でいかに上手く立ち回り、
自分を守りながら得をしていくか、
そうした「技術」が必要とされる場面も少なくない。
決まりごとを守っているかどうかは、
常に誰かに監視されているわけではない。
ルールを逸脱して罰を受けるのは、
運悪く発覚した時や、
見過ごせない大きな問題を起こした時、
あるいは、ルールを意識する者に
気づかれるヒントを与えてしまった場合がほとんどだ。
一方で、ルールを「正しいもの」と信じ、
守り続けている人々の中には、
その正義を盾に、
ルール違反者をどのように扱っても正当化できると
振る舞う者もいる。
理由のない暴力や攻撃は、
ルールを逸脱した悪として罰せられる。
しかし「正義」を掲げた行為であれば、
選択の自由が与えられる場面も多く、
周囲の人々は、
ルールを越えた者は攻撃されて当然だと目をつぶり、
どのような末路を辿っても仕方がないと受け止めてしまう。
正義感を持ち、それを貫いて生きていたとしても、
他責思考の人間が集まれば、
正義の側にいたはずの人間が、
簡単に「悪」へと転じてしまうことがある。
そして逆に、悪が正義へと置き換えられることも、
決して珍しくない。
このように、正義は驚くほど歪みやすい。
では、人は何を期待し、
何を守るために「正義」という言葉を使うのだろうか。
ルールを破った者が悪とされ、
正義の名のもとに攻撃され、
その正義が称賛される。
立場や環境が変われば、
結果だけを見て評価が入れ替わるこの仕組み。
理不尽や不条理といった、
明確な理由がない場合や、
明らかに許されない行為を除いたとき、
日常的に使われる「正義」とは、
一体何を指しているのだろうか。
多くの人が間違った正義を正しいものとして認識した時、
その間違いは正義へと変わってしまう。
結局のところ、
正義とは、多人数の感情によって定められた、
曖昧で不安定な定義に過ぎないのかもしれない。
その正義を守り、
良いことをしていると信じて疑わない正義感とは、
一体何なのだろうか。
――歪な正義。
そんな日常に潜む現象を表現したく、
「TWISTED JUSTICE~歪な正義」という楽曲が生まれた。
重厚に、ゆっくりと進行し、
やがて崩れ、何が正しいのか分からなくなっていく。
正しさと迷いが交錯し、
その感情に正面から挑んでいくような構成を意識している。
歪みの効いたエレキギターの伴奏、
それを支えるベースの重低音、
曲の流れを司るリズミカルなドラム。
シンプルでありながら、
重厚感のある演奏を軸に仕上げた。
この文章を元に制作した楽曲があります。
もしタイミングが合えば、静かな時間に聴いてもらえたら嬉しいです。
塔野ミノル


コメント