AI時代だからこそ、個人の音楽制作が必要だと思っている理由

思考
東京での夕暮れの景色

AIは、もう「すごい道具」という段階を超えていると思う。

気がつけば、イラストも、音楽も、動画も、
人が何日も、何か月もかけて作っていたものが、
ほんの一瞬で形になるようになった。

しかも、それなりに良いクオリティで、だ。

正直、最初は驚いたし、
便利すぎて少し怖いと感じたこともある。


AIは、努力と時間の価値を一気に縮めた

AIを使えば、
専門的な技術がなくても、
それなりに完成度の高いものがすぐ手に入る。

例えば絵。

まったく描いたことがない人が、
AIと同じレベルの絵を自力で描こうとしたら、
何年も練習が必要になると思う。
それでも、追いつけないかもしれない。

でもAIなら、
言葉を少し工夫するだけで、
自分には到底描けないクオリティの絵が、一瞬で出てくる。

速さも、完成度も、修正のしやすさも、
正直、どれを取っても圧倒的だ。


それでも、どうしても浮かぶ疑問

ここまで来ると、
自分の中に、ある疑問が残った。

この時代に、
個人が音楽を作る意味は、まだあるのだろうか。

AIで十分なのではないか。
むしろ、人が作る必要は、もうないのではないか。

こう考えてしまうのも、無理はないと思う。


それでも、個人の音楽制作は必要だと思っている

結論から言うと、
自分はやっぱり、個人の音楽制作はこれからも必要だと思っている。

それは、AIが未熟だからではない。
むしろ、AIがここまで成熟した今だからこそ、
個人が作る音楽の価値が、はっきり見えてきた気がしている。


人は「完成した音」だけを聴いているわけじゃない

音楽は、いろいろな使われ方をする。

主役として聴かれる曲もあれば、
映像やゲームを支えるBGMとして流れる音もある。

その瞬間に、
「いいな」と感じる人もいれば、
「特に何も感じない」と通り過ぎる人もいる。

でも、不思議なことに、
心を動かされた音楽ほど、
人はその背景を知りたくなる。

誰が、
どんな気持ちで、
どんな時間をかけて作ったのか。


作品は、背景があることで深くなる

楽曲が、
制作者のイメージや世界観を形にした最終的な結果だとしたら、
そこに至るまでの過程は、作品に奥行きを与えるものだと思う。

なぜこの音を選んだのか。
何を表現したかったのか。
どんな試行錯誤があったのか。

そうした話があることで、
音楽はただの「音」ではなく、
体験として記憶に残るものになる。


AI作品と、人が作った作品の違い

AIで作られた作品は、
完成度が高くて、効率的で、均質だ。

一方で、
個人が一から作った作品には、
その人にしか出せない癖や揺らぎが残る。

迷った痕跡。
遠回りした選択。
無駄に見える試行錯誤。

そういったもの全部が、
結果的に、その人のオリジナリティになっている気がする。


AI時代に価値を持つのは「人にしか語れない部分」

AIが誰でも使えるようになった今、
AIにできること自体は、特別なものではなくなった。

だからこそ、
AIにできない部分が、相対的に価値を持つ。

なぜ作ろうと思ったのか。
何を表現したかったのか。
どんな人生や感情がそこにあったのか。

それは、制作者本人にしか語れない。


AIと戦う必要はないと思っている

AIを否定する必要はないし、
敵対する必要もない。

任せられる作業はAIに任せる。
効率化できる部分は、遠慮なく使う。

その上で、
自分にしかできない表現に集中する。

それが、
これからの個人制作の、現実的な形なんじゃないかと思っている。


個人の音楽は「背景ごと残る」

AI時代において、
個人の音楽制作は不要になるどころか、
むしろ意味を増していく。

なぜなら、
個人が作る音楽は、
音だけでなく、背景ごと残る表現だからだ。

その背景こそが、
これからの時代に、
人が音楽を作り続ける理由になる。

少なくとも、自分はそう思っている。

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